水仙     2007年1月
1月27日  今年も時事川柳です


 今年もはや1ケ月が過ぎようとしています。今日は亡妻の一周忌で家族や親戚が集まってくれます。その話をすると湿っぽくなるので止めにして川柳といきましょう。
 私は川柳をよく作ってあちこちに投稿するのですが新聞社なんかはすごい投稿数でなかなか載せてもらえませんから、自分のHPに載せなきゃしょうがないです。
 今年になってから作った時事川柳を披露します。私は駄作を多作する傾向にあり。

レトルトの粥に七草香り立つ
〜〜お粥を米から炊くのも面倒だからレトルト粥に七草4人前一袋入れたら生臭いこと

初春も兄が妹殺す世か
〜〜兄と妹が男女の関係になるというドラマが評判みたいですが、あの事件はその対極?

もう一人きっと出るだろ悪大臣
〜〜アイツとアイツは評判だからな。後二人出ればチーム安倍の危機だよ

裏木戸を開けんとしたがヤマタクは
〜〜おっさん何しに行って何ができたのやらさっぱりわからんなあ。

事務所費もみんなでやればのクチだった
〜〜一人や二人なら犯罪だがみんなやっていれば怖くない。国民年金滞納と同じこと。

広告欄お詫びお知らせない日なし
〜〜本当にねえ。京都のおたべなんてのは「賞味期限切れてもおたべ」なんてね。

大臣は精密検査義務とする
〜〜健康とゼニ関係の健康と両方の精密検査を受けてからならはったらよろし。

愛想よしそうかこの春立候補 
〜〜いるんですわ、うちの近所にも。イヤに甲斐甲斐しいと思ったら春には市会議員立候補やて。

日本のシュワになれるかそのまんま
〜〜カリフォルニア州知事みたいに格好よくいけるかな?どちらも苦労はするんだろうが。

真っ黒にペコちゃんの顔泥塗られ
〜〜まあありゃあひどいですな。子供の好きなペコちゃんのキャラが台無しだ。

納豆のにせ効能が糸を引き
〜〜放送見て納豆買いに走る⇒メーカー増産する⇒効能説明真っ赤な嘘⇒在庫の山、ああなんということ。



1月20日  「東京大膨張による列島再編」が正しい道か


 先週の日経ビジネス誌にこんなタイトルの特集記事が載っていた。私に言わせればとんでもない暴論だと思うのだが。
 長々と引用するわけにも行かないのでごく簡単に要旨をまとめる。

東京一極集中が進んでいる。もうこ勢いは止まらない。日本中を東京文化圏にしてどんどん東京に集中させることでわが国は発展する。今後リニアモーターカーでも実用化されればそれはさらに進んでゆく。東京はまだまだ集中を受け入れる余地がある。地方はそれぞれに独立を目指し、たとえば金融制度や通貨制度も異なる地方が出来てもいい。

 何もかも東京に集中することがわが国の今後の発展の道だというのである。
 東京はすでに過密だがたとえば建物の容積率を香港並みの2,000%まで認めれば総人口1億2,000万人が住むことも可能だという。
 私がこれを暴論だという理由は大きく分けて2つある。
 一つはコストの問題である。これまでも地方の振興などという理由で建設してきた新幹線やら高速道路やら瀬戸内海に架けた橋やら青函トンネルやらは人や物を東京に集中するいわばストローの役割を果たした。
 地方の振興は完全なごまかしであることははじめから判っていた。これに要したコストは莫大である。今後リニニアモーターカーが実用化されるには膨大な資金が必要だし、時間的に名古屋が東京の通勤圏になるといったところで毎日の通勤に膨大なコストがかかることになる。
 東京に集中することで東京の地価はとめどもなく上昇して東京に住まいを持つことは非常に難しくなる。仕方がないから東京のビルは上に上に伸びて皆が空中に住んで空中で仕事をすることになる。
 日本の問題点は物価が高いこと、コストが高いことである。それをなお助長しようとすることにはならないか。とりわけ東京の地価が天文学的な数字になる。
 もう一つは生活環境の問題、引いては人々の心の問題がある。
 こういう国のあり方を論じる時には数字ばかりが議論の対象になりがちだが、国民が人間である以上その生活環境の問題を避けて通れない。生活環境が荒めば心の安寧を図ることもできなくなると思う。   狭い東京に1億人以上がひしめき合いひたすら空に伸びたビルで生活し、川も野原も森も花も鳥も無縁な無機質な生活が国民にとって幸福といえるのだろうか。
 自然がないことによる公害問題も深刻化しかねない。
 今問題が顕在化している人々の心の乾き、気に入らねば直ぐに相手を殺すとか、ゼニゲバが跳梁跋扈する世の中がますます進んでゆくことは間違いない。いじめの問題もしかり。これらの問題は人が自然とともに、自然から安らぎを貰いながら生きることが少なくなったことと無縁ではない。
 東京のビルの屋上緑化くらいですむものではない。皇居を潰しても足りない。
 ではどうすればいいのか。東京集中とは逆に地方の振興を図ることである。
 地方の格差是正と国のバランスある発展である。これは資本主義である以上なかなか民間にはできない。
 政府がその気になって長期的なビジョンを打ち出さねばならない。そのための決め手はやはり遷都である。国の行政機関の大半を思い切って地方に移すことである。そうすれば関連企業など多くが地方に移るであろう。そうすることで東京と地方のバランスある発展が図れるのではあるまいか。
 一時遷都論が行われていたのにいつの間にやら沙汰やみになり、逆に東京集中こそはわが国発展の要諦などと言い出したのだからあきれてしまう。
 最後に第4の権力といわれるマスコミの責任がある。日本のマスコミはみんな東京が発信基地になっている。地方発はほとんどない。東京の人間が東京の視点からだけで発信するのだから東京集中を是認する論調になってしまうのだとも言える。

 いずれにせよ、国家百年の大計を計るべき政治家が銀座の土地が再度暴騰しているのをいいことだなどといっている国は長い目で見れば衰退する。
 東京集中が進めばたとえば北海道の円は東京の円の半分の値打ちになる、そうすれば東京からの仕送りの値打ちが2倍になるなどという理屈をマジで述べる大学教授がいることにはびっくりした。



1月13日 スカイマークな旅


 東京から大阪への旅行、それも飛行機で一飛びとなればそれは旅とはいわない、単なる移動だと思います。普通そうなんですが、先日千葉の息子宅で正月を過ごした後帰宅したときは、東京―大阪でも旅をした気持ちになりました。楽しかったので書いてみる気になった次第。
 利用した便はスカーマークエアラインの神戸空港行き。
 羽田空港でチェックインしようとしたらチェックイン機がありません。いつもクレディットカードを機械に突っ込んでチェックインずみの航空券を受け取る無言の手続きなのだがそれがないんおです。女性の声で「こちらへどうぞ」機械でなく人がそれもニコニコしながらチェックイン、それだけでも新鮮な気がするものです。
 さて、いつもはJALやANAのジャンボに乗るのにスカイマークは737の小さな飛行機。スーパーシートなんかもないモノクラスなのも新鮮。
 機中ではいつも居眠りするのですがこの日は乗り込んでから滑走路を滑り始めるまでの10分ほどの間に居眠りを済ませてしまいました。おかげで抜けるような青空の中の飛行を楽しむことが出来ました。
 スカイマークは大手と違って伊豆大島や浜松沖やらを通らないのですね。そのことに気がついたのは真っ白に雪を被った富士山の頂上の火口を見つけた時でした。本当に真上を通るのですが、すわ写真と思ってもカメラを出すのにもたもたしていたら通り過ぎてしまって写真は撮れませんでした。ここにある写真は借用したものですがこの写真とおりの火口を上から見たのは初体験でした。福岡行きは同じようなコースらしいですが関西住人としては乗る機会がないですから。
 その時に社内放送。スカイマークではお絞り、飲み物、オーディオ、機内誌などはないのですが、機内放送では発泡酒を100円で販売しますとのこと。早速求めましたらなぜかこれが沖縄オリオンビール製の発泡酒。ワンコインの発泡酒を一口飲むとぐっと旅気分になるから不思議です。
 機は南アルプスから千頭ダムあたりの上を通り、名古屋の街の北の辺りを通り、伊吹山脈から琵琶湖京都と通り兵庫県の上空で南に旋回するのですが、途中まったく雲もなく地図の通りに地形がみられてすばらしかったです。 兵庫県の篠山の上空あたりから南に旋回して高度を下げながら明石海峡大橋の当たりを掠めて神戸空港に着陸しました。
 景色はすばらしくて発泡酒にほろ酔いしながら旅を楽しんだのですが一つ残念なことがあります。
 美しい国日本の国土にあちこち、しかもたくさんの「虎刈り」があることです。
 写真にも映っていますがゴルフ場です。綺麗な山なみのあちらこちらに18個づつの虎刈りがあるのは不細工ですね。夏ならともかく冬はコースが赤茶けてまさに虎刈りなんです。
 私もゴルフはやりますし会員にもなっていますが、ちょっと数を減らすか目立たないような工夫はないのかな、と思ってしまいます。
 最後に神戸空港、ボーディングブリッジが3本しかない小さな地方空港なのになごみをおぼえるといえば大げさかな。ゲートを出て10mでポートライナーに乗れるのも嬉しいことです。
 気分のいい旅でした。




1月6日 今年のキーワード


 あけましておめでとうございます。
 年が変わったからといって何が変わるわけでもないとはいうもののなんとなく気分新たになるから不思議といえば不思議ではあります。
 さて今年はどんな年になるのでしょう。世界が日本がという予想話をするのもいいですが今年は自分のことを考えてみたいなと思います。
 昨年は私にとって最悪の年であったと年末に書きましたが今年は何ぼなんでも何がしかいい年になるだろうと思います。またそうしなければ人間やってられないですから。

 今年の自分を考えるとき、キーワードとしては2つあるかなと思っています。
 ひとつは「集中力」です。どうも私は集中力がないように思われます。子供のときから私はいわゆるながら族でラジオを聴きながら受験勉強したり、新聞読みながらテレビを見て食事もしているようなところがあります。これが決して自慢できることではなくて悪いことなのだとこの歳になってようやく気がつきました。
 年末に第九の練習をしているときに指揮者が「みなさん色々なことがあるでしょう。心配事もあるでしょうが、歌っているときはそういうことを一時的にも忘れましょう。忘れて歌うときにうまく歌えるのです」と言っていました。集中力とは難しいことではない、要するに夢中になるということです。
 集中力の有無がはっきり出るものの一つがゴルフです。昨年、私のゴルフの成績はひどい落ち込み方をしました。心配事が多くてゴルフしながらも何かしら考え事をしていたからだと思います。ゴルフは非常にメンタルなスポーツでちょっとした心の動きが球の動きに乗り移ります。
 今年はこれをやめて、ゴルフをするときにはゴルフに夢中になり、歌を歌うときには歌に夢中になるようにしたいものだと思います。

 もう一つのキーワードは「自然体」です。人生もう第4コーナーです。まだまだこれからだと力んでみても大勢は決まってしまっています。大きくは変わらないでしょう。大金持ちになれるわけもないし有名人になるわけでもない。できる範囲で心身ともに豊かな老後生活に入ってゆきたいと思うだけのことです。そういう人生の流れに棹をさしてみても仕方がないのではないでしょうか、という心境です。

 年末に昔の会社の同僚に30年ぶりに会いました。先方に出かけてやーやー久しぶり、と声掛け合ってお互いの息子や娘の話やその後の会社の話やして、食事をご馳走になって帰ってきたのですが、私の最近の悪い癖で、「この人の今の生活は自分より幸福なのかどうだろう」と品定めをしてしまいます。
 向うは奥さんがそばにいましたがこちらには居ないからその分だけでも自分の方が不幸です。経済的にはどうなんだろう、その他仕事や趣味や…..と思ってしまいます。
 そうやって品定めというか値踏みをしての結論はたいてい「オレのほうが不幸だな。オレのほうが貧しい生活をしているな」となってしまいます。
 ですが、よく考えてみれば自分は自分のことをすべて知っている、当たり前のことですが。しかし相手のことは本人が話してくれる範囲以外にはほとんど知らない。当然ながら人生の光と影の中で影の部分はよほどのことがないと自分からいうわけはないわけで、相手について知っていることはほとんど光の部分だけということになります。
 というわけで相手がだれであれ比較すれば総合で自分のほうが不幸であるという結論になってしまうことに気がつきました。本当はどちらがより幸福なのか不幸なのかわからないしわかる必要もないわけです。
 これもまた「自然体」の話の中に入るでしょうか。つまらない比較癖は捨てたいと思います。みんな光と影を抱えて生きているのですから。



ビバ!シニア




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